France / Austria

マリリーズ・ヴィニョー:

FRONTLINES OF DIGNITY, SHREDDED SKIES AND OTHER LOVE STORIES

戦禍のウクライナを舞台にした本プロジェクトは、ロシアによる全面侵攻の陰で続く、人間らしい小さな営みに目を向けています。人々が抱える喪失や悲嘆をたどり、戦争が人のアイデンティティや記憶、そして日常の質感そのものを大きく変えていく様子を描き出します。

新聞の見出しの先にある風景を、慎ましく見つめて記録したこの作品は、戦争の余波と記憶をとどめる試みです。生き延びた愛や、失われた愛──さまざまな「愛の肖像」を通して、戦争によって傷ついた人々の痛みと強さを映し出し、この暗い時代を生きる個人と社会の姿を浮かび上がらせます。戦争の喧騒のなかで、それでも消えることのない、暴力を超える、正義、真実、愛、そして平和への祈りを捉えています。同時に、ひとつの「証拠」を記録として残すことも、この作品のねらいにあります。

2025年4月、キーウ。ロシアによるウクライナ侵攻の中、戦い、そして踊り続ける街。

28歳のヴラディスラフと22歳のヴァレリアは、占領下のドネツク地方の出身で、全面侵攻が始まる直前に出会った。二人は、ヴラディスラフが前線に送られるまでのわずか2週間を共に過ごした。戦前より民間の地雷除去員だったヴラディスラフは、「ウクライナから危険をひとつずつ取り除く」という使命のもと、軍に志願した。彼にとって戦争は、11年前からすでに始まっていたという。

二人の出会いはカフェだった。ヴァレリアは、彼のオレンジ色の帽子、人を惹きつける魅力、そして目が合った瞬間に感じた強い引力を覚えている。ヴラドはそれをデジャヴと呼んだ。

2022年8月9日、地雷の処理中にヴラドは重傷を負う。10日間の昏睡の後、両眼を失った状態で目覚めた。しかし、ヴァレリアがそこにいた。彼女の顔に触れ、それが現実か確かめようとするヴラド。そんな彼の記憶の中の彼女の姿は、すでにぼやけていた。

当初、ヴラドは「彼女にはもっと幸せな人生があるはずだ」と、距離を置こうとした。しかし、ヴァレリアは離れなかった。そしてドネツクの病院で、花とメレンゲ菓子を手に、彼は彼女にプロポーズした。

いま、ヴラドは「タイガーアイ」と名付けたお気に入りの義眼を、誇らしげに身につけている。

ニキータが前線から、アンナに毎日送った手紙の始めには、いつも「僕の太陽へ」と書かれていた。

ウクライナのために戦ったニキータは、地雷によって命を落とした。

二人が出会ったのは2020年10月のキーウ。孤独を抱えた二人の間には、すぐに強い絆と信頼が生まれた。しかし、二人の時間はあまりに早く終わりを迎える。

ベラルーシ出身のニキータは、家庭の不和から逃れるためロシアで働いていたことがあった。全面侵攻は、そんな彼の心を深く揺さぶった。彼はロシアを離れ、祖国ベラルーシで新しい人生を始めようとしていたが、ウクライナの戦争から逃れることはできなかった。やがて彼は、プロパガンダに惑わされるベラルーシ人たちを啓発するため、情報発信のチャンネルを立ち上げる。そして、国際義勇軍に参加する道を見つけ、ウクライナへ渡った。ウクライナのために戦うことは、同時にベラルーシの自由のために戦うことでもあった。

最前線のハルキウで戦った後、彼はドローン操縦士となった。ロシア派だった父は彼を裏切り者と呼び、息子の死を望んだ。

2024年11月30日、アンナは仲間の兵士から電話を受ける。そこで告られたのは「ニキータ、200」──戦死を意味する暗号だった。

アンナは、恋人の防弾ベストとシャツを身にまとい、彼に贈られたバラの花束を抱く。彼の手袋を握りしめると、涙が溢れ出てくる。彼女は震える声で、好きだった音楽を二人で聴くため、墓前に二組のヘッドフォンを持っていくのだと語った。



侵攻の初期、ヴァニアはキーウ地域と空港を守っていた。そこで彼は、ロシア軍による残虐行為や略奪の現場を目撃し、盗んだ宝飾品をポケットに詰めたまま死んだ兵士を見つけたこともあった。

2022年4月、肺炎から療養中のヴァニアは、マッチングアプリでヴラディスラヴァと出会う。数週間の長いやりとりを経て、短い休暇の間に実際に会うことに。二人はすぐに恋に落ち、彼が前線のバフムートに戻る前に婚約した。彼が戦場で過ごした日々は、塹壕、地雷、仲間からの通信を待つ早朝、話し相手の犬、そして仲間の死の繰り返しだった。攻撃の間には、果てしない待ち時間が続いた。

ヴラディスラヴァは、ヴァニアの日々を想像することをできるだけ避けて過ごしていた。

陣地が崩壊したとき、ヴァニアのいる部隊は、敵の砲撃の中、5キロの後退を強いられた。その途中でヴァニアは地雷を踏んだ。

意識は失わず、首に焼けるような痛みを感じ、自分が失明したことをすぐに悟った。搬送後、人工呼吸器の音を聞きながら、サッカースタジアムを思い出したという。

一週間後、ヴラディスラヴァは、ヴァニアの母から事故のことを聞かされる。彼女の心は、恐れよりも、自分の愛する人が、四肢を失うことなく生きていてくれたことへの安堵で満たされた。やがて二人は結婚し、今では二人で息子を育てている。

ヴァニアの義眼を乗せた、ヴァニアとヴラディスラヴァの手。彼を優しく労わるヴラディスラヴァ。

2025年4月4日、キーウ。
その日は春の陽射しがやわらかく街を包み、公園は家族連れでにぎわっていた。ほんのひとときの間、戦争は遠い存在のように感じられた。しかし夕方になると、その幻は打ち砕かれる。ロシアのミサイルが400キロ離れたクリヴィー・リフを直撃し、16人が犠牲となった。そのうち7人は子どもだった。

11歳のマクシム・マルティネンコは、2025年の棕櫚の主日(復活祭の1週間前の日曜日)、両親ナタリアとミコラとともにロシアのミサイル攻撃で命を落とした。一家の中で唯一生き残ったのは、祖母のナディア・クラソシュチョク(71)だけだった。

ロシア軍は、ミサイルを連続で二発撃ち込む「ダブルタップ攻撃」を行い、一発目の直後に救助に駆けつけた人々に膨大な被害を与えた。ウクライナ北東部、国境近くに位置する街は、軍事的に重要な拠点となった。爆発物を積んだドローンがの航路の直下にあり、エンジンの不穏な唸りが、昼夜問わず空気を震わせる。そんな音を背景に、この街での日常は進んでいく。

オデーサの公園で、酔って千鳥足の若者が、花で遊んでいた。彼は「自分は感覚が麻痺している」と打ち明ける。夜通し彷徨い、酒に溺れる日々は、ウクライナの若者たちに刻まれた、戦争の見えない傷跡を物語っている。その傷は、この先何十年も癒えないかもしれない。

TATARIN AND ANGELIKA

タタリンはパートナーのアンジェリカと共に、キエフ戦争博物館を訪れた。そこにあった展示物は、塹壕で時々コート掛けに使った、破壊されたミサイルを思い出させる。

クリミアに残る家族の安全のために彼の本名は伏せ、ここではタタリンと呼ぶ。タタリンは、スターリン時代にウラル地方に追放されたクリミア・タタール人の子孫である。祖父はホロドモールを生き延び、祖母は伐採作業の強制労働を経て、ウズベキスタンに定住し、そこで生まれたのがタタリンの父だった。

ソ連崩壊後、家族は祖先の地クリミアに戻った。父はタタール民族運動に参加し、シンフェロポリで反ロシアデモに加わったため、二人とも「テロリスト」としてブラックリストに載った。父に促され、タタリンは単身で国外に逃げた。

その後キエフで、彼はアンジェリカと出会う。彼女は、占領下のドネツク地方から避難してきていた。彼女はロシアの爆撃や暴力を目撃し、故郷を逃れたのだった。亡命者という共通点が、二人を結びつけた。ロシアの全面侵攻後、二人は選択を迫られる。ポーランドに渡って家族を持つか、それともここに残り抵抗し続けるか。二人は、「誰も止めなければ、ロシアはポーランドにも侵攻するだろう」と考えた。

2022年2月25日、タタリンは国土防衛軍に入隊し、ドネツクで戦った。現在はドローン操縦士として戦っている。稀に取れる休暇の際には、アンジェリカとのひとときや温かいシャワーを味わうが、その時も、前線からの暗い知らせの予感はすぐそばにある。



ダンサーでモデルのアルセニア・テルジは、モルドバの衣料品ブランドの撮影のため、オデーサのビーチに立つ。背景では黒海が穏やかに輝いているが、ロシアの軍艦から発射されるミサイルの危険が影を落としている。

オデーサの菓子店に並ぶ、ウクライナの中で見かけるスローガン「スラヴァ・ウクライニ(ウクライナに栄光あれ)」入りの銃型のチョコレート。

2025年4月19日、ベラルーシ・ウクライナ国境で人質の交換が行われた。国境で取引が行われる中、人質の家族はチェルニヒウの総合病院に集まり、知らせを待った。

彼らは最後の瞬間まで、不安の中で過ごした。この写真は、マーガリタが息子ルスランの帰還を知らせる電話を受けた瞬間を捉えている。3年間のロシアでの捕虜生活の後、間もなく息子を自分の腕で抱けると思い、喜びのあまり気を失った。

チェルニヒウで、ロシアに捕らわれた息子の肖像をあしらった横断幕に身を包む男性。過去2年間、ほぼすべての人質交換に参加し、息子の解放を願った。残念ながら、その日もまた失望に終わった。

2022年4月以降、キエフでは毎週日曜、アゾフスタル家族会がマリウポリで捕らわれたウクライナの戦争捕虜の解放を求めるデモを行っている。毎週行われるこの集会は、一般市民や当局に向けて、未だロシアの捕虜となっている人々の状況を忘れないよう訴える役割を果たす。

ポスターには、「21人の音楽家が3年間ロシアの捕虜となっている」とある。

「その沈黙の間に、彼らは殺されている」

「あなたの声が、今日のアゾフの声になる」

「あなたのため立ち上がった彼らのために、今度はあなたが立ち上がる番」

スーミの街を走る車のナンバープレートには、ウクライナ語で「死」の文字が刻まれている。

兵士ヴィタリー・リフョビツキーと娘キラの肖像。

2023年5月、ロシア占領下のルハンスクの塹壕にて、ヴィリタリーはサーマルカメラで敵の動きを確認していた。ヘルメットには高性能ヘッドフォンが装着されていた。そこで、ロシアの狙撃手が発砲。弾丸はカメラを破壊し、彼の片目を貫通した。

その瞬間、真っ先に思ったのは子どもたちのことだった。「また会えるだろうか」「生き延びたとしても、傷を見た子どもたちは怖がるのではないか」と恐れた。

2年近くにわたって複数回の手術を経て、ようやく彼の顔は元の姿に近づいた。現在ヴィタリーは戦場を離れ、建設会社で働き、未だ続く戦争の中、国の再建に貢献している。

18歳のアンニアは、学生寮で暮らし、アートを学んでいる。彼女はザポリージャで育ち、舞踊や演劇に親しみ、物心ついた頃からずっと絵を描き続いていた。全面侵攻が始まると、砲撃を避けてポーランドに4か月滞在し、その後キエフに移ってアートの勉強を始めた。そんな彼女の作品は、追放された人々の様子や、戦争下における身体のあり方を題材としている。

オレナ・フォコワの肖像。撮影場所は、自宅近くのブチャの森。2022年2月24日未明、キエフ地域の住民はロシアの砲撃とミサイル攻撃で目を覚ました。かつて静かな郊外であったブチャは、首都へのロシアの残虐な侵攻の最前線となり、後に虐殺の舞台ともなった。

その朝、オレナは娘と共にポーランドに逃れた。夫セルヒイはキエフに戻って軍に志願するため、彼女たちを国境まで送り出した。これが最後に彼女が夫を見た瞬間だった。

その後、セルヒイが自宅前に車を停め、家族と電話で話していると、通話が突然途絶えた。それ以降、家族が彼の声を聞くことは二度となかった。近隣住民によると、車には血の跡はなく、セルヒイは忽然と姿を消したという。

2024年10月、オレナのもとに、夫がロシアで拘束されているとの手紙が届く。その後の人質交換で、セルヒイは生存が確認されたが、拷問を受け、歩行もままならない状態だった。

オレナは現在、障害を持つ青少年のためのアートセラピストとして活動している。彼女は、失踪した夫のシャツを今でも身につけている。

ロシアによるスーミ砲撃の被害の様子

オデーサの壁を埋め尽くす政治風刺画には、ブラックユーモアと鋭い創造性が入り混じる。この絵は、ロシア兵の行動が批判的に描かれたものである。

空襲警報の合間、キエフのバーで座っている女性。窓越しに顔が映り、街がその周りに反射する。戦争の騒音の中で垣間見られた、ひとときの「日常」。

2025年4月10日、キエフ。

2008年、オルガは親友と、イヴァーノ=フランキウシク近郊のカルパチア山脈に小さな家を建てた。そこでオルガはロマンと出会い、そこには深い絆が築かれ、二人は同棲したのち、結婚した。その後、仕事の事情でキエフに移り、花を愛する二人はバラ栽培の事業計画を夢見る生活を送ったが、戦争によってその夢は途絶えた。

ロマンが志願する際、オルガは恐怖を抱きながらも彼を支えた。2022年9月5日、彼はヘルソン解放中に命を落とした。彼の遺体が無事に戻ってきたことに、オルガは感謝している。仲間の兵士によると、彼は手榴弾に飛び込み、6人を救ったという。彼の取った勇気ある行動は、オルガにとっての誇りだという。

オデーサで、ソ連時代の遺構が物議を醸し、取り壊しが議論される中、ソ連軍英雄の記念碑前で楽しげに踊る母と娘。二つの時代が重なり合う瞬間。

布製の花で作られたウクライナ地図の前に立つ、十代の若者二人。ロシアの併合や侵攻を免れたこの地図は、1991年の独立当初のままの場所に国境が引かれている。

オデーサで、戦争の重みを映す少女の瞳。父と海辺を歩いていた彼女に、私はカメラを見つめ、「戦争の終わりを思い描いてみて」と言った。

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